菓子パンと担々麺

長文で書きたい思ったこと。19歳。

お返事を書き申し上げます。

 これはとあるお手紙へのお返事です。

 この前はどうもありがとう。色々な景色を見ることができて、美味しいもの食べてたくさん話してとても楽しかったです。また、色々心配をおかけしたかと思いますが基本的に大丈夫です。

 人を好きになることができないという言葉には若干の語弊があります。友情と恋愛感情を対して区別していない、というかできないのではっきり恋愛的にマジで好きって思ったことがないという言い方が正しいです。今までに付き合ったことがある人もそこら辺ははっきりしないまま別れています。その原因として、私は根本的に近しい関係、例えば家族だとか恋人だとかそこらへんの親密な関係性を信じていないのです。思い当たる原因は色々あります。ただもう変えようがないことだし思い出したくもないしそんなに大したことではないので多くは話しません。

 帰りの車内で親しい人の許せない点が出てきたらどうするかという話がまさにそれです。私は許せないことを言い出す、言われたら直すというかそのような関係性の構築ができたことがありません。言っても無駄だとか私は干渉されたくないだとか、そういうプロセスを踏むことがだるいから、辛いから、面倒だから、傷つきたくないから。要するに怠惰なんです。頭では信頼関係の構築にそれが必要なのは重々承知していますが。

 あなたは私に何でも言えと言いました。完璧であろうとするなと、頑張らなくていいと。それができなくて一人で思い詰めて勝手に苦しくなるのが私の欠点とも言えましょうか。

 そんな時にスッと横にいてくれる人なら誰でもいいのかもしれません。

 君と付き合うかどうかは正直まだ決めきれません。楽しかったのは事実ですが、君とそう言った関係性を構築することができるかどうか正直怖さがあると言えます。そんなところです。

 ぽやしみ。

 

 

人へ

 もうこれ以上思い出さないという最後の決意のために呪詛をここに書き連ねていきたいと思います。

 私は愚かです。私は私の人生をちゃんと生きられているのでしょうか。私はちゃんとしているのでしょうか。立派な人生を送られているのでしょうか。恥の多い生涯を送ってきました。もう二進も三進もいかないのです。いつもこう思っているわけではありませんが、このように考えてしまうこともあるのです。それでも生きて行かなかればなりません。私は非常に欲の多い人間で、このどうしようもない人生に花を手向けたいのです。それはそれは綺麗なうつくしい、うつろな作品にしたいのです。

 私はよく年上の先生方に気に入っていただけます。女性の教師には気に入られないこともありましたが、大概の教員には気に入ってもらえました。先輩にはウケがいいですが後輩には対して気に入ってもらえません。先輩にはご飯などに誘っていただくことも数多くあります。 

 しかし私は何もできないのです。辛いのです。与えられたものは与えられたものでしかない。自分じゃ何もできないのです。そういう人間です。

 それでも自分の時間を切り売りしてお金を稼いで勉強をして将来稼ぐことができるようにならなければいけません。そのためにはどんなに辛い過去も受け入れて必死に楽しいふりをして生きていくことしかできないのです。

 親なる人を呪わないとはもう決めました。私はもう完成されてしまったのですから。勉強を頑張って人生をなんとか楽しく生きていくそういう生き物として完成されたのですから。むしろ今まで育ててくれたこと、勉強を教えてくれたこと、勉強の邪魔をしない程度とはいえ、色々な趣味を教えてくれたことに感謝しなければいけないのです。現在進行形で学費を出していただいていること、家賃の半分と国民年金保険料を出していただいていることに感謝しなければならないのです。

 そして前に付き合っていただいた人を呪わないことをここに固く決意しなければいけないのです。今はもうお互い嫌いでしょうが、私の辛かった時に話を聞いていただき、一緒に場所に行ってくれたことは事実ですからね。ありがとうございました。それ以上に呪いたいことはたくさんありますが。色々恋人空虚じみたことをしたのに私のことはなんとも思っていなかったのですね。それが私の中で大きな一つの傷ですね。私も悪いところはありましたね。真面目に考えすぎました。あなたが私のことをそれほど思っていないことを察せなくてごめんなさい。そして肝心なことを何もお伝えできずにごめんなさい。何も言えないのに勝手に一人で病んでしまってごめんなさい。本当に迷惑な人でした。

 ここにもう人を呪わないことを決めます。

 

人生やりたいことリスト

・ワートリ全巻読む。

・呪術廻戦全巻読む。

安部公房夏目漱石ドストエフスキーサリンジャー、オスカーワイルドの作品を読む。

・資産形成の勉強をする。

・日本中をブラタモリのように旅行する。

・料理上手くなる。

・ワードエクセルパワポを使えるようになる。

・プログラミングを頑張る。

自分のアイデンティティについて

 最近自分のアイデンティティについて考えることがよくある。コツコツした努力が得意だと思っていたが、周りによほど私なんかより真面目に授業に取り組んでいる人がいる。お金を稼いだり人に教えたりするのが得意だと思っていたけど浪費にどうしても目が向いてしまうし、コンビニで適当に買って済ませてしまうせいでお金もあまり溜まっていない。仕事ができるほうだと思っていたけどコミュ力があまりないせいで色々と手こずっている。いい人キャラを高校時代に確立していた(これは卒業した後に知った。)が、大学に行ってもクズキャラを極めるし日々余裕がなくて友達にも話題を振れなくて辛い。元々コミュ力がある方ではないし、大きめのコミュニティの一部になったり、コミュ力がある子の企画力に乗っかって生きてきただけなので、まあスタートラインが平均的なところより後ろ側だと思う。心に余裕のないときは自分の話ばかりしてしまうし、相手が喋ってくれないときは自分の話をして場を盛り上げようとするが、これも自慢ばかりになってしまってよくない。他には将来について割と考えている方だと思っていたのに、周りの人間が私よりもっと具体的に将来について語っていてああ…となったり。

 別に万人に好かれたいわけじゃない。全知全能になりたいわけじゃない。だけど、当たり障りのないコミュ力が欲しいなあと思わずにはいられない。辛い。コミュ力さえあればなあと思うことが多いが、なかなかしんどい。

 人生生きていく上で色々身につけたい能力も多いし、経験したいことも多くて、なんだかしんどくなってしまう。と言うかやりたいと思ったことに挑戦せずに終われない。と言うなんだかめんどくさい性格がなんだかんだ自分の取り柄なのではないかと思う。自分でも自分がめんどくさくてそろそろ辛い。と言うか自分のめんどくさい性格の割に怠惰だし能力もないのにやりたいことがどんどん思い浮かんできて、どれも中途半端になってしまうことに辛さを感じずにはいられないのである。

 最近学んだことを記しておく。

インドカレー屋さんと中華料理屋さんはコスパがいい。

・ディズニーチケットは取るのが大変。

インド哲学の根本の教えは「人生が苦」であり、人間は苦しい輪廻から解脱するために人生で徳を積む。

・律儀なおじいさんは時には面倒であるように、めんどくさくない程度の律儀さの程度を学ぶべき。

・針金虫はカマキリに寄生してカマキリを誘導して水に飛び込ませる。

・上手い人と卓球を練習してるとラリーがよく続くように、自分が気持ちよく会話できているときは相手が気を遣ってくれている場合が多い。

・正しく人を頼って正しくお礼をすれば周りの人間は案外助けてくれる。

 

苦しくて、狂おしい

一年がそろそろ終わる。今年の5月に人と付き合い、某との時間はとても楽しく、同時に苦しかった。高校を卒業してからよく集まって喋っていた四人の輪を私は壊してしまった。馬鹿だから。それがどれだけ苦しいかを自覚せずに自分の選択一つで安易に壊してしまったのだと気付くのにそう時間は掛からなかった。苦しさを紛らすために必死で某との時間を楽しくしようともがいていた。一通りいろいろと出掛けてとても楽しかったのに、振り返ると心には一つ大きな傷跡がある。苦しさを誤魔化して、肝心な違和感を見過ごして生きてきたその先に、確かな大穴と絶望が待ち受けていた。

私は何をしたかったのだろうと、常に考える。気が合う人ともっと仲良く、距離を近くに取りたいだけなのに、なぜか自分でそれを拒否して、不安になって全部壊してしまう。どうしてなのだろう。辛くて、辛くて、自分の怠惰さに嫌気がさして、選べない自分の心が嫌すぎてもう消えてしまいたくなる。そしてその人と新たに仲良くなった別の人物が斯くも幸せそうに生きているのを見つけてしまったとき、私の心も死ぬ。

人間関係で辛い時は本当にいろいろあった。私が何も出来なくて、苦しくて、ただそれだけだった。そういうときに一つ救いの手を差し伸べてくれる人が本当にありがたかった。なのにそれを無碍にして大切に出来ないのはいつも自分だった。

一年の最後はいつも寂しい。冬は恋人や家族と過ごすっていうのが定説化している中で、大概入試や勉強や単位取得に追われていつも虚無を拗らせている。私は人生の重要なときに一人でいることでしか自分を保てない。寂しくて、寂しくて仕方ないのに私はいつも一人。そんなもんだ。

罪を背負ってばかりで、何も出来なくて、いっそ違う人生を歩んでしまいたい。どうしたら私は強くなれるのでしょうか。人に優しくなれるのでしょうか。

 

 

過去について

過去とは振り返るべきものなのだろうか。

 

過去の傷が空気に触れて死にそうになることがある。特に大した出来事ではないが、未だに思い出すと心が混乱して消えたくなる。し、こんな罪を背負っている自分が憎くて汚くて、消してしまいたくなる。

だから過去を振り返るのはもうやめる。記憶はこびりついているし、おそらく忘れた気になってもふとした瞬間に思い出すけど、全部消して忘れたことにして生きていく。私の過去に関わった人々が私を恨んでいたとして何か蒸し返してくるとして、私はもう何も関係ない。

無力に生きている

 人に優しくありたいと常に思ってきた。私はお世辞にも人に優しいとは言えないし、尖った性格で、怒りや悲しみといった負の感情に動かされることが多すぎて自分でも嫌になる。必死にそんな自分を隠すように接してくれる人には優しくありたいと思って行動してきた、と思う。それでも仲良くなってその人との関係に慣れてきて、つい尖ってて自分勝手な自分が顔を出すこともしばしばであり、そのことに罪悪感を覚えて一人で辛くなることもよくある。

 私は私を大切にしてくれる人に対して傲慢だ。大事な友達が電話で話を聞いてくれたり、一緒にご飯に行ってくれたり、遊びに誘ってくれても、自分を大切にしてくれない他者の愚痴を言ってしまう。最低だ。私の愚痴を聞くために通話したり遊んでくれるわけではないとわかっているのに。形だけでも取り繕いたくて、私に接してくれた人には必ずありがとうって言っているけど、それでも罪悪感は拭えない。

 こんなことを思うのは気にしすぎなのだろうか、分かってはいても辛くて、辛い自分を曝け出すのが怖くて、一生心に重りが乗っかったまんま、生きている。終点の見えない鈍行の各駅に乗って、途中は土砂崩れで通行不可になっているような、そんな感じ。

 どうしたら人に優しくあれますか?どうしたらこのどうしようもない自分を好きになれますか?